常識を切る3 〜人の心からの景気回復〜
未来第19号に掲載
そしてこの小論の最後に、それでは今景気をよくする為の即効性のあるものは何かということを考えたいと思います。 先日ある会合でメルシャンワインの鈴木社長ととなりあわせの席に座る機会がありました。 そのとき一体何が一番景気対策に有効であるかということが二人の間で話題になりました。 私はそのとき光ファイバーケーブル網をつくるとか、都市におけるインフラ整備こそもっとも肝心ではないでしょうかというような旨のことを申しあげたところ,鈴木社長のお話はそれよりはるかに具体的で,住宅の面積を今の2−3倍にすれば景気はよくなるであろうというお話でした。 成る程とばかりに,私はこのことにコロンブスの卵のように驚きをともなって合点しました。 確かに今日はモノ余りの社会といわれているし、また事実どこにいっても別段欲しいものが無いと言われています。 例えば結婚式で引き出モノが出てもそのほとんどはすでに持っていて,屋上更に屋を架する状態ともいえます。 具体的にいえば、コーヒー茶碗と皿の5枚セットのようなものであればどこの家のも何セットかあって、それを置いておくスペースがないために,ほとんど未使用のまま地域のバザーに100円とか200円とかの値段で出す人が多いわけです。 確かにかつて我々の先輩が3Cと呼ばれた,電気せんたく器、テレビ、冷蔵庫というような我々があこがれてなんとしても買おうと情熱を燃やしたインパクトのある製品がありましたし,新3Cといわれるカラーテレビやクーラーや車のように購買意欲に拍車おかけるような新製品がありました。もはやこれほどに購買意欲を掻き立てる商品はなく,そのことが今日の消費回避の理由といわれています。 しかし自分の家が大きくてコーヒーセットの10セットでも保管でき,それを好きな時に物置から埃にまぎれて出すのではなく,簡単に取り出せるような状態であれば,いくつかこうしたセットを揃えようかという気にもなります。 つまりこうしたことを考えると今日の消費を積極的に促すにはアッと驚くような新製品の開発が不可欠ですが、一方において消極的な需要の喚起するには、床面積を増やし更に壁の面積を増やすことこそ肝心と考えます。 少なくとも前者のかつての3Cに匹敵する新製品が出てこない中では,鈴木社長の言にあるように,モノを入れるハコへ家をとりあえず拡大することこそ最善の一手といえます。 しかし、わたしはここでまったく別の視点から,世界的に見て経済を活性化するために有力なものがあると思います。それは,21世紀の需要を高めるような人間観やライフスタイルの提唱です 人間にとってアッとおどろくようなかつての3Cや新3Cのような新しい製品が出ることはハード部分で強烈な需要効果がありますが,それと同じくらいの需要効果があげられるのが、ソフト分野ともいえる新しい人間観やライフ・スタイルの提唱によって可能であると思います。 例えば、イスラム教において人生に一回のメッカ巡礼が義務づけられれば、それにともなう旅行用の道具や商売が、大いに喚起されたわけです。 学校教育を大学まで受けるというライフ・スタイルが提唱されれば、教育産業とその需要が喚起されます。 孔子の儒教によっても、ひとつの人間のライフ・スタイルが提唱されて、その文化等にともなう様々な需要が発生したのです。 私は今日の景気低迷の原因は,アッと驚く新製品の開発が出来ない製造業の怠慢と、21世紀の地球社会と長寿社会を前提にした人間観を提言できないでいる思想界の貧困にあると考えます。 そうした観点で見たときに,私は今日の高齢化というものを切り口にして、あたらしいライフ・スタイルの提唱をするべきであると考えます。今日では高齢化社会は2人の労働者で1人のお年寄りを支えるといったような負担が増えるというマイナス面のみが強調されていますが、実際は、それがあたらしいビジネスの発生にも寄与し,同時に人生の意義づけをするをすることによって、人生フロンティアの発見にもつながることともいえます。 少なくとも過去の歴史において,思想家と呼ばれた人たちは,社会と時代のあたらしい変革の中で,それを危機から文化的可能性を引き出すチャンスにしてきたといえます。 つまり高齢化社会に対してもしかるべき人間観を提唱することによって需要は出てきますし,あたらしい文化とあたらしい感動が生まれてくるに違いありません。 還暦とか古希の祝いとかもひとつのイベントとしてありますが、むしろトータルなイメージとしての高齢者にあたらしいライフ・スタイルをプラス発想で考えることが大事だと思います。 高齢者を通常の人生のつけたしでと考えるのではなくここに新しい提唱と、あたらしい独立した意義づけを与えることこそ肝心であると思います。 かつてルソーがヨーロッパ啓蒙主義であたらしい人文主義と人間の提唱をしたようにまた孔子が中国の大変革時代である春秋戦国時代にあたらしい国家観と人間観を提唱したように今、高齢化社会と地球社会の到来を目前として、あたらしいルソーやダランベールや孔子が出現することによって新しい人生フロンティアの発見につながりあたらしい経済効果も出てくると考えます。 わたしは先日,ある芸能人と話をした際に,テレビに出て笑い話をするのも良いし,ギャグを言うのも良い。しかしテレビは庶民に対して啓蒙するものなのだから,あたらしい人間観やあたらしい文化の切り口を提唱するべきだと主張しました。 経済の世界で,かつてのテレビや冷蔵庫や洗濯機,また車やクーラーといったインパクトのある製品が普及して,心驚く新製品がなくなったのが経済界を産業界の怠慢だというのであれば,かつてシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)時代の驚きを伴った人間のあり方の新鮮な息吹,ロシア・デカブリスト時代の新しい人間性へのよろこびといったような,インパクトと驚きをもった,あたらしい人間観がここ半世紀にわたって一つも生まれないことは,思想界の対面であるとわたしは主張したのです。 こんなことも含む、経済、社会、人間観についての古い発想とあえて一線を画すあたらしい構想をもちあたらしいヒューマニズムと人間観をもつ思想家と政治勢力が今こそ旗を掲げる時と考えます。