今回の津波及び地震災害について本日、福島を目指して朝早く出発し視察に入った。 まず陸上自衛隊福島駐屯地を訪問し、そこで自衛隊の活動について聴取した。次に福島県庁を訪問。そこで福島県知事の佐藤雄平知事より直接説明を受け、県庁関係各局のみなさんから詳細な説明を受けた。 総括すると、特に福島県知事は大きな不満を指摘していたが、福島原子力発電所に対しての政府による初動対応の問題がある。 すでに原発半径30km内では過半数の住民が脱出している。そのために生活雑貨が購入できなくなり、更に生活環境を悪化することになるという不安がもらされた。 深刻なガソリン不足の問題については、確かにタンクローリーは動いている。但し多くのタンクローリー運転手が、風評にまどわされてしまい、福島までガソリンを運ぶことを嫌がっている。例えば「白石まで運ぶから、現地の人もしくはガソリンスタンドの人間がそこまでガソリンを受け取りに来て欲しい」ということになる。その為のガソリンがそもそも無い。他の食べ物についても、生活雑貨についても同じである。 危険だから福島まで行かない。だから自衛隊員にタンクローリーを運転して貰うしかないという話すら始まる。しかし危険物輸送の資格をどうすればにわかに取れるのか等の課題も残る。 鉄道の復旧業務を行う技師、生活環境の復旧をすることのできる人の多くは、すでに被災地を脱出している。彼らは危険だという情報によって被災地を脱出してしまっている。その家族、子供の安全の為に被災地を脱出する。ゆえに復旧が遅くなり、復旧が遅くなれば物資到着のスピードも遅くなる。こうした悪循環が始まっている。 その原因に、政府が福島原発の退去地域を当初3kmとした。次にその地域を段階的に拡大し20kmに拡大したことがある。これは、事態が急速に悪化しているとの不安をいたずらに煽ったことは否めない。物資の搬入ができなくなれば店に商品が不足する。地域の人は生活の不便を感じて脱出を考える。そうするとますます不便になる。こうした悪循環を政治のリーダーシップで如何に克服するかが問われる。 次に相馬市災害対策本部及び被災地を訪問した。同僚の生方幸夫衆議院議員が集めた下着1000着他、3tトラック満載の救援物資及びバスを中村第一小学校に届けた。 この被災地は新しい校舎ということもあって避難場所としては比較的良好な環境である。そしてこの数日で被災者が半減したという。 すでに報道にもあるように、被災者自身のリーダーシップの下、自治的ボランティアが被災者の中に生まれ、懸命な努力がされていることに感激した。その後、相馬港の凄まじい津波被害の爪痕を視察した。 新地町役場を訪問し、加藤憲郎町長からは、被災・支援状況の説明を受けた。日本全国からの物的支援・精神的支援は、自分達の勇気に繋がる。 家を津波で失った人が、「頑張って行こう」と語り合っているという話には感激した。加藤町長は、我々は、「さようなら、いつかまた会いましょう」などとは言わない。「ここで頑張って行こう」と語り合っていると強調した。 こうした慰問、支援物資の応援及び視察、問題についての情報収集を終え深夜帰京した。 取り急ぎ報告する。
今回の地震災害によってお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、被災をされた方々に心よりお見舞いを申し上げます。 さて、本日17日、衆議院議長の要請により各委員会の委員長が招集され意見交換がなされました。 私は、その会議において次の発言をしました。【国難を乗り切る与野党協力】 一つは、国民に対して挙国一致でこの国難を乗り越えようとしているのだということをメッセージとして発し、また外国に対しても日本国がいかにこの国難を強く認識し一致結束しているかということを発信するために、政府に対して政権与党の民主党だけではなく、自民党をはじめ、公明党等全政党に参加を呼び掛け、この国難に対する対策本部を創設するべきだという旨。 もちろん、各政党の参加の仕方には、様々な形態が方法論としてあると思うが、そうした力を合わせて取り組む姿勢自体が国民と海外諸国や、民間の各団体に対する国民を守る強い意志と復興への決意を示すメッセージになるということを主張した。このことについては、同様の意見がほかにもあり、議長、副議長には是非検討することを願ってやまない。【被災者支援生活再建支援法のバージョンアップを】 二つ目に、未曽有の災害を受けて、阪神大震災から10年の年月をかけて生まれた被災者生活再建支援法を、さらに今回の深刻な事態を受けてバージョンアップするべきであるという旨。 この事は一義的には、災害対策特別委員会で議論されることであるが、全議員の参加によって、財務省などの反対を抑制する必要があるという点が重要である。 もとより、公的な資金を、個人住宅の再建に使うことの是非について、財務省は否定的であったし、それはある意味で正しい。 この、私有財産に公的資金を入れることの是非について、超党派の地震議連で10年に及ぶ議論があり、先般、一定額のお金の用途を、使い切りという玉虫色の決着で、事実上被災者生活支援、家屋も含む再建に使用できるような議員立法が成立したのである。 阪神・淡路大震災以前、従来の災害がそれほど面的に大きな広がりを持つ規模でなかった。局知的な災害においては、例え個人の所有する家屋が崩壊していても、行政は公金をつかって、その地域の道路の復旧などの社会資本整備を担当すれば、あとは自己責任として甘受される風潮が存在したし、災害による被災者生活再建の遅れが日本の経済全体に及ぼす影響も限定的と考えられたために、少数者である被災者は悪く言えば切り捨てられてきたものだった。 しかし、阪神を超えるような今回の広範囲におよぶ巨大災害、公的財産の道路等と私的財産である家屋のほとんどが消失しているような場合には、国や自治体が道路だけを整備しても復興にはならない。道路のような公的なものは、多くの私有財産である個人の家屋とともに存在してこそその意味を持つ。公的なものを公的な財産とするのは、そこに私有財産が存在するからであって、私有財産が全くない状態での公的資産というものは無駄使いに近いと言えよう。人も車も使わない道路が基本的に無意味であることは自明である。【復興院の設置を】 それと同時に、関東大震災のときに、後藤新平が、総理大臣直属の復興院という機関を各省庁を調整するものとして作り、首都の復興を目指した故事は重大な意義を持つと考える。 この時に当初30億円から50億円という、当時としては巨大予算が計上されたが、当時の議員の無理解により五億円に減額された。もしあの時に彼の構想通りの東京になっていたらば、東京大空襲の被害も10万人の死者を出すほどにはならなかったのではないかと指摘する人もいるようである。また、その後の今日の道路渋滞はまったく違っていたともいわれる。 今回の災害は、関東大震災に勝るとも劣らないものであり、東日本復興院というようなものを総理直属で作り、大規模な都市再開発を含めて復興のグランドデザインを描くべきと考える。 今は誰もがまだ危機的状態で緊張感が高まっているが、時間が経過し、その緊張が解けた瞬間、周辺の土くさい、がれきの中で、絶望感と、倦怠感と無気力感が一気に高くなるということがしばしばある。 私自身が災害対策関係で、被災地をしばしば訪問したときに、まさに泥とがれきの中で、被災者は、こうした絶望感を強くしていたという記憶がある。その時に被災者を勇気つけるのに必要なものは、なにより未来への希望であるが、たとえば、バージョンアップした被災者生活再建支援法や、東北地方復興院の描く将来の都市計画である。 これら三つの事を衆議院議長及び副議長また多くの委員長に対して私は提言をした。【危機管理時の金融体制】 更に必要な事は、こうした状態の中で、日銀がマネーベースを拡大する事であろう。私は既にデフレ脱却として、アメリカのFRBがリーマン危機以降において、その資産を2倍半に増やしたこと、イングランド銀行が3倍、スウェーデンでは4倍に増やしデフレを脱却したことを指摘してきた。日銀の総資産は120兆円であり、このレベルでいけば200兆円くらいの資産を増やすべきであると、私が会長を務めているデフレ脱脚議員連盟で訴えてきた。 そこにこの災害である。少なくともこうした巨額のマネーベースを創ることこそ急務である。政府には日銀に対する強いリーダーシップを期待したい。少なくとも15兆円という規模ではほとんど効果が見られないであろう。関東大震災の後もこうした資金供給は大胆に行われたことは今後の一つの参考になるであろう。 こうした様々な問題の中でも、今回改めて危機管理体制の不備が目立ってきていると考える。【法規対応】 たとえば、原子炉について、50ミリシーベルトが一つの限界ということで、空中からホバリングをしてのホウ酸水の散布が二日前に見送られた。昨日はさらにホウ酸入りではない水の散布がホールドの壗見送られた。本日になってようやく行われたと言われているが、放射能濃度の高まりの中でホバリングによる散布自体が出来なかった。 この間50ミリシーベルトから250ミリシーベルトその基準が緩和されたことによって、自衛隊の出動と散布が出来たのである。こうした基準の転換と意思決定が2日早く行われていたらば、状況はより深刻ではなかったに違いないと言われている。 こうした事は、多くの事象であるであろう。つまりは危機に対する体制が課題である。たとえば、もし外国が日本に攻めてきたときなどに、荒唐無稽な武器使用基準や、今でも整備されていないスパイ防止法などは、早急に現実的なものを整備する努力が必要であろう。【日本人の質】 しかし同時に今回の災害を受けて、日本人の持つ質的な高さは奇跡的ともいえると考える。たとえば、11日に地震が発生し、電車が止まり、何百万人の滞留人口が都心に残された。実はそれまでの災害対策、首都直下型の危機において、こうした滞留人口が、暴徒化されることが懸念をされてきた。しかし東京においてこうした暴徒化された人間や、被害の発生は報告されていない。之は奇跡に近い秩序の高さである。11日の夜に整然と国道沿いを多くの人がもくもくと帰宅の為に歩いている姿を見たときに、かつての会合で、暴徒化された大衆が生まれるであろうという直下型地震の時の危機についての仮説が議論されたことが恥ずかしくなった。こうした日本人の資質は、必ず、こうした災害に対して強い連帯と克服を可能にするという指摘があるし私もそのように考える。【求められるライフスタイルの転換】 また、今回の災害は同時に日本人のライフスタイルと精神構造を大きく変える歴史的事象になるであろうと考える。つまり、今後仮に原子力発電が出来なくなるとすれば、そのことだけで今日のようなネオンが輝く夜の世界を含め、今後は不可能になるであろう。今始められている計画停電や、夏の電力需要期に対する対応などは、従来の生活を維持する事が困難であることは明白である。 この機会に日本人は、こうした部分を含め、この災害を連帯して乗り越える中から新しい公共の発想を汗の中で受け止め、従来の平和ボケといわれる体質を転換しながら、なお一層強靭な国民性を身につけていくことが必要であると考える。