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2006年08月

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北方水域における日本漁船拿捕について 2006.8.19[Sat]

 今般、第31吉進丸が歯舞諸島の近海において、ロシア国境警備隊から銃撃を受け、乗組員1名が死亡、3人が連行される事件が発生した。
 ロシア側は、領海侵犯と密漁の容疑でロシア国内法に基づき起訴すると言っている。
 しかし、重大なことは、この水域は、歴史的にも日本固有の領土領海であり、ロシアは昭和20年8月15日の終戦後に、日ソ不可侵条約を一方的に破って北方四島を不法占拠したまま懇意地にいたっているということである。
 つまり、本来日本の水域であるはずのところをロシアが不法占拠して今日に至っているのである。
 しかし、日本は外交において、戦後、自己主張をしないという姿勢で今日まで至っており、ロシアの不法占拠を半世紀以上許してしまったということである。
 現実には北方四島にはロシア人が住み、すでにその3世の世代が生活を始めるにいたり、この領土問題はロシア側からすれば、本来は不法占拠であっても、現在は既得権化しているといいたいところであろう。
 しかし、我が方からすれば北方四島変換は戦後一貫した目標であり、私にとっても心の師である、末次一郎先生がその人生を賭して闘い続けてきたテーマである。また今回の事件はわが国の主権と人権に関わる、いわば独立国にとって譲歩のできない問題である。
 今回、この事件を受けて、わが国政府は断固として抗議をロシア側に行っているが、それは当然である。
 むしろ私はそれに加えて、わが国の為しうる二つの行動案を示し、外務省にも働きかけたいと考える。
 ひとつは、今回の事件と北方四島の問題をハーグの国際司法裁判所に提訴することである。ロシアが応訴しなければ、調停にせよ裁判にせよ成立はしないが、少なくとも国際社会に再度、この不法占拠について訴えることは必要であるし、本来、日本の領海である場所で日本漁船がロシア国境警備隊に銃撃拿捕されたことは、そうした場で強く批難されるべきであろう。
 二つ目には、我々は日本の国内法に基づき、このロシア側の行為に対して被疑者不明のままでもいいから刑事事件として起訴するべきと考える。
 それくらいのことが行い得ぬようでは、日本人は誇りや自負を持ち得ぬと考えるものである。
 今回の事件は大変に無念の出来事であるが、同時に従来の言われっぱなし日本外交から、毅然たる日本外交へ転換できるかの試金石として、その対応がきわめて重大であることを指摘したい。


61回目の終戦記念日を迎えて 2006.8.17[Thu]


 今年61回目の終戦記念日を迎えた。私は事務所の有志十余人と共に、靖国神社に昇殿参拝し、その後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に一輪の菊花を捧げた。
 その日、小泉総理大臣は朝8時前に来て公式参拝を終えたということであった。
 終戦の日の誓いは、不戦の誓いをすることと、日本の為に命を散らした御魂に心より冥福を祈ることである。
 そして、このことは純粋に心より出でたる課題であり、他国はもとより他人にも云々言われることではない。
 今日の日本にとって、よくも悪くも8月15日という日が、歴史的存在としての国家と個人を囲む日本という共同体を自省する唯一の日となっていると言える。
 しかして、小泉総理が靖国神社に参拝したことに対して、中国、韓国から批判の声があがった。
 アジアの諸国の国民感情は、以前にこの項で記したように、ベトナムにおいては死者に鞭打つようなことはしないが故に、靖国参拝に何ら異を唱えるものではないとし、また、最近訪問したモンゴルにおいても同様である。インドはもとよりこの点について理解を示している。
 中国や韓国が、アジアの国々がすべて怒っているというふうに言うのは明らかにデマであり、中国、韓国が怒っていることが、むしろアジアの不安定要素となることを懸念するといったインドネシアの声明が事実を冷静に語っている。
 そこで、中韓が、戦争犯罪者が祭られている靖国を日本の首相が参拝することは許容できないとしている点であるが、一体戦争犯罪者とは何であろうか。
 A級戦犯を規定した東京裁判が、国際法上全く違法な裁判であったことは、インドのパール判事が大著を著して批判したとおりである。
 公正な裁判であれば、原子爆弾の投下による一般市民の虐殺や、東京大空襲などの責任はナチスドイツのアウシュヴィッツに匹敵するものとさえ考えられるが、これについての責任論は一切問われていない。
 東京裁判が、罪刑法定主義を全く無視している点を指摘するまでもなく、違法な裁判であったことはもとより明白である。
 戦後半世紀を経て、わが国が主体的に戦争の資料を集め、この人物はわが国の歴史を過てる方向に導いた指導者であると結論付けられるとすれば、それが戦争犯罪人となる可能性はある。
 しかし例えて言えば交通事故でも、当事者間の過失割合10対0などが無いように、近代の戦争において、その責任の比率は5:5か、せいぜい6:4、いって7:3くらいであり、一方が100%悪いなどと言う議論は成立しないものと考える。
 しかし、だからといって我々は戦争を肯定するものでも無く、ことあるごとに非戦の誓いを新たにし、失われた尊い人命に対しては、ひたすらに感謝と哀悼の誠をささげることを当然と考える。
 その純粋な心に対して、半世紀余り経って未だその賞罰が公正なる場において明らかになっていない戦犯問題を出して来て、他国が日本の指導者の行動に対して、口出しをすることは、日本を属国としたいという強い願望によるものとしか考えられない。
 昭和天皇のご発言とされる富田メモの公表が物議を醸している。靖国神社はそもそも明治天皇の大御心によって創建された神社であることを顧みるならば、その子孫であり、日本国の最高の神主でもある天皇陛下が気持ちよく参拝できる神社となるべく靖国神社の関係者には努力を惜しまないで欲しいとは思う次第である。
 こうした東京裁判について、国会では昭和28年、全会一致で戦犯に対しての赦免決議を採択した。これを契機に戦犯論は終結し今日に至っている。
 日本の最高権威である国会で野党である社会党、共産党も含む全会一致で、戦犯の免責が決議されたことを考えると、今回、中韓の外交カードとしての靖国A級戦犯論は、東京裁判の違法性を含め、日本の主権をないがしろにするものといえる。
 それ以上に、戦後半世紀を経て、未だ真の終戦処理を自国で完結できていないわが国のあり方が遺憾である。
 この部分の国民的議論が―つまり昭和28年の赦免決議を受けて、東京裁判批判と検証が徹底的に行われぬかぎり、真の日本の精神的自立はないであろう。


モンゴルに赴いて 2006.8.14[Mon]


 8月5日から9日までの日程で、モンゴル共和国を訪問した。北朝鮮の抱える人権問題について議論する国際会議に日本代表の一人として出席するためである。
 日本は、自国の主権にかかわる人権問題として、拉致事件の解決を目指す立場にある。しかし、6月の通常国会の最終段階で成立した北朝鮮人権法に盛り込まれたように拉致問題の解決を広く国際社会にアピールするためには、日朝の個別的事案とするよりは人権という普遍的問題として、これを国際社会にアピールすることは重要である。
 しかも、金正日体制は言い方を変えれば、北朝鮮2千万の公民を拉致監禁して酷使しているとも言える。
 つまり、人権問題の切口から、北朝鮮の体制に大きな打撃を与え、北朝鮮のもつ、他国民に対する拉致を含む人権問題と、北朝鮮を脱出した政治難民の救済という人権的命題の解決をするための3回目の国際会議が、今回はウランバートルで開催されたのである。
 もとより、拉致問題の解決ということを言う場合、ひとつはその全容を明らかにし、特定失踪者を含むどれだけの日本人が拉致されているかを明白にし、その救出をすることが目的となる。次に、この拉致を企画したトップを逮捕することなしに事件の解決は無い。
 例えば通常の誘拐事件で、単に被害にあった子供などを解放しただけでは済まされない、その犯人を捕まえ、裁きを加えなければならないのと同様である。
 つまりは、拉致問題の解決は、北朝鮮の独裁的な体制を様々な人道的手段や制裁手段を用いて崩壊させることによってのみ真に解決できるのである。
 今回のウランバートルにおいて十カ国弱の国々が参加をして行った議論は、その意味において、日韓の国会議員の間においてはほぼ認識は共有されたと思う。
 同時に、モンゴルや英国、アフリカ諸国の代表にとっては、北朝鮮独裁国家のもつ深刻な人権被害や、はじめて知る日本人拉致の実態に、大きな衝撃を感じることとなったであろう。
 また、追加声明として、北朝鮮だけではなく脱北者を無慈悲にも北朝鮮に送り返す中国政府の対応についても大きく批難の声があがり、その声明の中で北朝鮮と中国の二カ国の名称が具体的に上げられたことは、国際社会の大国「中国」に人権問題で米国だけではない他の諸国からも公然と問題が指摘されはじめたことを意味するエポックメイキングな出来事ではなかっただろうか。
 実に、北朝鮮問題は、中国の人権についての政府の姿勢に直結していると言う認識が今回の会議を通じて広がったと言えよう。
 今回の会議の持つインパクトは、その翌日、開催国モンゴルの国会議員が、北朝鮮の領事館に呼ばれて、1時間にわたり「こうした北朝鮮を批難する会議を、数少ない北朝鮮と外交関係を確立している友邦国モンゴルで行うことは迷惑である」と抗議を受けたことで明らかである。
 それだけ、今回の会議は北朝鮮にとっては衝撃だったのであろう。
 我々は、ひとつには日本固有の拉致問題の解決を目指しながら、二つには、その問題の解決は同時に北朝鮮における人権問題の解決と深くリンクしていると言う認識のもとに、今回参加したアジア、アフリカの諸国と共に国際連携していくことを目指すべきと考える。
 なお、今回、このモンゴル行きの中で、モンゴルの農業大臣や、モンゴル外務省アジア局長などとも話し合う機会を持てた。
 とくに後者との話し合いの中で、本年に入ってから北朝鮮のエージェントが米ドルで300万ドル、日本円で200万ドル相当、トータル500万ドルすなわち、6億円近い現金を不正にモンゴルに持ち込もうとして捕まった事件を紹介していた。
 アメリカによるバンコ・デルタ・アジアの金融制裁が行われ、また日本の経済制裁が徐々に発効される中、モンゴルを新たなマネーロンダリングの舞台としていこうとする戦略が見え隠れしているように思われる。
 この点についても、国際連携による北朝鮮の人権問題解決が必要と思われる。


民主党三役と三宅島復興視察 2006.8.3[Thu]


 7月31日夜10時半、東京竹芝桟橋発の客船かめりあ丸に乗って、三宅島を訪問した。民主党代表小沢一郎氏、代表代行菅直人氏、幹事長鳩山由紀夫氏に加え、前回東京都議会議員選挙に島嶼部より立候補した池田剛久氏とさらには民主党本部職員と共に、朝の5時、三宅島に到着した。
 民主党は小沢代表になってから、大きく変貌し、千葉7区の補欠選挙で与党候補に競り勝ち、各種世論調査でもその支持率は自民党に近づきつつある。
 その要は、なんと言っても、小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長の3人の友愛結束のパワーにあることは間違いない。
 かつて音楽グループのビートルズが、4人の個性豊かなメンバーがそれぞれの独自性を主張しながらも全体としては美しく見事に調和をする過程により、多くの世界的ヒットを生みだしたことは誰もが知っていることである。
 民主党首脳の3人が、それぞれ異なった個性と主張と歴史をもつことは日本国民の誰もが知っているところであるが、全体として調和し、政権交代に臨む姿こそ、多くの国民にとって新しい民主党を実感させるものとなっているのであろう。
 私自身、民主党所属の国会議員として、そのことに誇りと、政権交代の大きな可能性を肌で感じている一人である。
 そうした中で、首脳3人が折に触れて時間を共有するということは、そのパワーを全開にするためにもっとも重要なことであろう。
 今回、私の地元選挙区にある三宅島に、噴火災害からの復興の情況視察や、観光の振興の為に小沢代表自ら音頭をとっていただき三首脳に訪問していただいたことは、大変に嬉しいことであった。
 また、4年半の避難生活から島に戻ってはいるものの未だ十分に復興が為されていない三宅村の人々にとっても、その応援のメッセージはかなり伝わったと思う。
 小沢代表、菅代行、鳩山幹事長の三首脳は三宅島の観光アピールのために、まず自ら漁船を借りて、8月1日朝6時より昼過ぎまで魚釣りを競い合った。
 私も地元出身議員として、その船に同乗し、慣れない釣りに全力投球をした。一匹でも多くの魚を釣り上げることが、全国の釣り人に対する観光アピールになると信じたからである。結果として、4人で、百匹近くの大小さまざまな魚を釣り上げることに成功し、大いに三宅島の観光アピールにつながったと確信している。
 ちなみに、1番大きな魚を釣ったのは、地元ということで海の神様のご利益に与ったのか、ビギナーズラックでキハダマグロを釣り上げた、不肖私、松原仁であったことも付記しておきたい。(ちょっと自慢♪)
 その後、午後には災害視察として、三宅村の平野村長、高松議長らと共に閉鎖中の三宅島空港や、火山ガス被害でいまだに住むことのできない高濃度地区にある集落を訪れた。
 とりわけ、羽田―三宅島の定期航空路の再就航は全島民の悲願であるということで党首脳3人に強く要望が寄せられた。
 それに続いて、村役場に三宅村の枢要な方々にお集まりいただいて意見交換会が行われた。
 そこでは、飛行機就航の話、港湾の話、特定郵便局の話、観光の話、離島におけるガソリン税軽減の話など、多岐にわたり具体的な陳情要望が寄せられ、党三役からの応答が為された。
 夜6時からは、場所を移動し、さらに多くの三宅島民の方々にお集まりいただき、昼間釣り上げた魚を共に食し、釣果報告懇親会が行われた。
 きわめて密度の濃い有意義な三宅島の一日となった。

 翌8月2日は、鳩山幹事長と私が昨日に引き続いて島内視察を敢行した。
 まず、あじさいの里デイサービスセンターを訪問し、利用者と職員の皆さんを激励した。その後、雄山の山上にある七島展望台において青白き火山ガスの流れを目の当たりにした。当日は若干、硫黄臭を感じながら、未だ三宅の実情がガスとの共生を余儀なくされている厳しい環境にあることを痛感した。
 その後、バードウォッチングのメッカ大路池の現状を見、島の象徴でもある野鳥アカコッコの飛翔する姿を見て、三宅島の自然が着実に回復に向かっていることも確認できた。
 昼には、三宅島災害・東京ボランティア支援センターが運営する、帰島後の高齢者の生活支援をボランティアの力で行っている、「みやけじま風の家」を訪問した。
 多くの三宅の方々と親しく会話をし、その悩みを聞きながら、やがてヘリコプターで神津島に移動した。
 なお、神津島空港においても、村の皆様と鳩山幹事長、池田剛久氏と私、松原にてわずかな時間ではあったが神津島のもつ悩みと問題点について意見交換が為されたことを付記しておく。


 
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