2006年03月
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毅然たる外交
2006.3.23[Thu]
東シナ海のガス田開発について小泉内閣の閣僚の対応が二分されている。
二階経済産業大臣は短期的には試掘をしない方針を打ち出している。これに対し、安倍官房長官と麻生外務大臣は中国側が本格的生産に入ったならば対抗措置をとることを強くにじませている。
私が衆議院経済産業委員会で、二階大臣に質問をした限りでは、二階大臣は麻生・安倍の両氏に対して極めて強い不快感を示していた。
私はこうした状態で結論を出さずに、対中強硬派と二階氏など週刊誌で媚中派と揶揄される両派を天秤に乗せ、世論の動向を見ながら有利な方に乗るといった小泉さんのやり方は、政治家が自分の権力を維持するためには役立つが、真の国益にはつながらないと考える。
そもそもこうした外交において、他国から評価されるケースは二つあると考えられる。
ひとつは、国際秩序の構築に貢献することによって多くの国々からそのリーダーシップを評価される場合と、二国間において相手側の国益に貢献することによって評価される場合である。
私は、二階大臣が他の重要閣僚や重要な党幹部、例えば自民党の中川政調会長などが訪中した際に総書記および首相に会えないのに、二階さんが行くと温家宝首相と会うことが出来るということが、はしなくも中国の国益に沿った言動をしている証左であると考える。
つまりそれは、日本の国益の犠牲の上に中国に国益をもたらしているということであろう。少なくとも中国の国益にかなったことをやっているということが評価されているのである。
委員会質問において私は、日本側ガス田における試掘権を行使しないという二階大臣の表明は、日本のガス田開発業者である帝国石油に対しての大きなプレッシャーではないかと質問したところ、自分にはそうした認識は無いという。しかも交渉再開のためには、中国に対して刺激的な言動、つまり日本側ガス田の試掘をさせるなどということは出来ないというのである。
しかし、中国と日本は対等の立場であり、日本にとって中国と交渉が出来ないということは、中国にとっても日本という世界第2位の経済大国という存在と交渉できないというマイナスを意味する。交渉が出来ないということは双方にとって同様にマイナスであり、一方的に日本にとって不利益を意味するものではない。
仮に日本が中国に対して刺激的な言動をしないことを条件に、中国が交渉のテーブルにつくのだとしたならば、逆に中国が日本に対して刺激的な言動をしないことによって日本が中国との交渉に臨むというのと同じことである。しかるに、中国は日本に対して極端な刺激的言辞を使い、また日本側に原子力潜水艦などを平然と運航させ、日本海を中国の海にしようとしている。
つまり日中間にあるのは二階さんの行動を見る限り、一方的な日本の小国意識と中国の大国意識のみということになる。
もっと言えば、1945年以降、日本はどこの国に対しても臣下の礼をとらなければ地球上に存在し得ないような誤った敗北者的センスをもった国となっているとしか思えない。
しかも、この意識こそ国民の多くや青少年の多くに自信を抱かせない最大の理由であることは容易に想像できる。
こうした自虐的国家を、外国が意のままに操ることなどはいとも簡単なことに違いない。
そうした国のマスコミを上手につかい、更に強烈にダメ意識を植え付けていけばいいのである。
今日、日本が何ら反論をしないために世界中で定着しつつある「南京大虐殺」の虚構は、中国にとって、かつてナチスがユダヤ人をすべての悪の根源としたことと同様のプロパガンダを可能にする。
しかも、日本に二発の原爆を投下したアメリカにとっても、その人類史上最も批判されるべき、核を一般市民に用いたという歴史的汚点を正当化するために、日本人は原爆を投下されるに値するトンデモナイ国家と国民であったということの論拠に用いられるのである。
つまり、ヒトラーのナチスと日本が同じような人類史上最悪の民族であり、国家であったということを信じ、それゆえに原爆投下は当然の報いであったと考えるアメリカのパワーエリートは存在しよう。
しかし、現実には日本はヒトラーのナチスとは全く異なり、きわめてサムライ的気質の統率のとれた兵士が戦っていたということを私たちは資料から知ることが出来る。
南京における虐殺といわれるものは、今日のイラク・ファルージャにおいて米兵によって行われたことと同じようなレベル以下ではなかったとさえ思われるとある人は言う。
もちろん、ファルージャにおける一部米兵の行きすぎた行為については非難されてしかるべきであるが、それは決して大虐殺と呼ばれるような代物でもなければ、それによって米国に報復の原爆が投下されるべきだと考える人など、世界的にはビン・ラディンなどごく少数しかいまい。
しかし、戦後60年から70年を経て、歴史の証言者がほとんどいなくなった今日、こうした歴史の曲解が行われ、我々は永遠にすべての世界の国々に非礼をわび続けるべき敗北の国としてあることは、少なくとも我々の先祖や未来の子孫の名誉にかけて断固として許してはいけないと考える。
二階大臣の行為は、こうした極めて大きな国益に反する行為であり、かつての村山談話、そして河野談話に次ぐ売国奴的言辞と多くの人が感じるのは当然であろう。
私は、経済的成功を否定するものではない。しかし、経済的成功よりも精神的高揚が今の日本には不足しているのである。
戦後の間、あまりに物質的に流れすぎて、豊かであるが精神的に貧しい国というアンバランスが、例えば若年層の多くにニート現象を起こしているのではないだろうか。
私は、内閣が麻生大臣や安倍官房長官の路線のもと一致結束して、今この岐路において毅然たる外交を展開することを望むものである。外務委員会の一員としてそのように主張を続けていく決意である。
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