子供の人気アニメに「ドラえもん」という、猫と狸を合成したみたいなほのぼのとしたキャラクターがある。その「ドラえもん」をもじって、「ホリエモン」という愛称がつき、一時的には時代の寵児ともてはやされた堀江貴文氏が逮捕された。 ホリエモンこと堀江氏が、大学在学中に若干20余歳で経済の世界に飛び込み、短期間で、目が眩むような成功を博し、また情け容赦なく常識に挑戦した点で、彼は多くの若者たちのカリスマとなったことは否定できない。 しかし私は、彼の名前がマスコミに出始めた頃、あるテレビ番組においてこうコメントした。 堀江社長の行動は、「ゲーマー」のそれである。「ゲーマー」といっても年配の人にはよくわからないかもしれないが、子供たちの世界をのぞいてみれば確かにそういうものがありふれて存在している。ようするに、コンピューターゲームをする人のことだが、かなりマニアックでゲームが上手い人のことを指すようだ。今の若い人たちは一般的に小さい頃、遊び時間を少なからずゲームに費やしている。四半世紀以上も前の草創期には、インベーダーゲームとかギャラクシアン、パックマンとかディグダグなどが大流行したものだが、その後はコンピューター技術の進歩と共に、質、量ともに多様化し、今日に至っている。 今では、現実社会よりもゲームの世界の中に引きこもっている若者が多く、それ自体がひとつの社会問題となっているが、かつてはストリートファイターなどの格闘ゲームが流行り、それが現実社会における青少年の暴力事件と結びついたりもした。 昔は、少年たちは野原で遊び、グループの中で一番走ることの早い人間が尊敬されたりしたが、こうしたゲーム世代においては、ゲームが上手く、最も高い得点を重ねることができる子供が他の子供よりも優位に立つ。 堀江少年は、まさにそうしたゲーマーとして育ってきたのであろう。そしてゲーマーの中でも、さらに強いゲーマーは、単に手先が器用で上手いというだけでなく、例えばゲームソフトのプログラム上の欠陥や隙間を衝く「裏ワザ」を発見し、それを駆使して高得点を挙げ、楽々とステージをクリアし、次のステージに進むといったことをいとも容易くやってのける知識を持っている。 したがって、友達から賞賛されたいゲーマーたちのために「裏ワザマニュアル」といった書籍まで出版されている。 私は、ホリエモンの、時間外取引という脱法スレスレでニッポン放送の株式を買い付けるといった行為が、彼にとってはこうしたゲームの裏ワザのひとつであり、裏ワザを見つけたらまずは試してみたくなるゲーマーの本性に基づいて行動していたのだと見ている。 その意味では、彼には、私たちが生きる実社会における不文律である、倫理や規範といったものが殆ど意味をもたなかったのではないかと考える。 事実、彼が社会的成功を加速度的に収めていく中で、その成功自体が堀江氏の正当性への確信を高めることとなった。 また、国境を越えた金融や情報サービスにおける世界の一体化によって、従来の日本の伝統的価値観とは異質な極端な弱肉強食的発想で進行している現実が、彼の行動に対するひとつの評価ともなった。 しかし、今回の逮捕劇によって、ホリエモンが、いわば禁じ手といえる、決して許されることのない裏ワザを用いて株価操作をした事実が次々と明らかになりつつある。 ゲームの達人を気取って成功を収めてきたホリエモンにとって、眼前を流れるルビコン河の小さな水面を跳び越えることなどは、ゲームの中で日常的に繰り出す仮想現実の裏ワザの延長線上のごとくに見えたかもしれないが、そこに現実と乖離したゲーマーとしての感覚の罠があったに違いない。 ホリエモンは「カネで買えないものはない」と豪語していたが、もしそれを本当にそう思ってやっていたとしたら、まさに仮想社会の中に生きるゲーマーとしての、実に表面的で深みのない薄っぺらな人物であったということになるであろう。 ゲームの中には、愛情の葛藤や天翔る夢の追求や深みは存在しないからである。 しかし私はホリエモン事件を彼個人の問題として矮小化してはならないと考える。 彼の思考と行動の中に、大胆にして風雲児の側面のある一方、今日の日本の抱えるおカネでは解決のできない、しかしながら改革されなくてはならない最大の問題点が示唆されていると考えるからである。
ヒューザーの証人喚問などが入って、話が前後してしまうが、1月11日から13日まで、衆議院外務委員会の派遣で、キャンプシュワブ及び日中中間線に関わるガス田群、更に尖閣諸島視察を行った。 現在、9.11のテロ以降進行している地球規模での米軍再編成によって、在日米軍基地移転も検討されている。今回訪問したキャンプシュワブ沖には、米軍普天間基地の飛行場移転用地が検討されており、現在この問題については、沖縄県及び地元市町村と政府及び米軍の調整が難航している。 そもそも、このキャンプシュワブ沖に普天間の移転先飛行場の計画が持ち上がる間、沖縄県と国の間では次のような取り決めがなされていたといわれる。 それは、本来、沖縄県行政が、地元市町村との間で合意した四項目―ひとつは軍民共用の飛行場であること。二つには、その使用期限を設定すること。三つには、住宅街から3km以上離れていること。四つ目には自然環境等に配慮すること―について、政府も閣議において了解して、飛行場移転先を検討するとした経緯の存在である。 そして、こうした立場に立って沖縄県は、キャンプシュワブ沖の代替地を地元住民との粘り強い調整の結果、確定した。しかし、それが昨年の十月、ほとんど何の説明もないままに、突如として、キャンプシュワブ沿岸部に代替地は替えられてしまった。従前の案では住居地から2.2km離れていた滑走路は、新しい案ではわずか700mとなってしまう。 特に沖縄の稲嶺知事が強調していたことは、この候補地が沖合から沿岸部に移るにおいて、その理由の明確な説明すら今日に至るまで為されていないということである。 今回、私もキャンプシュワブ沖の現地の海岸を視察して、説明を受けた。そこは大変に美しい海岸であり、サンゴが海際に打ち上げられていた。そこで受けた説明で、何故、沖合ではダメで沿岸部ならいいのかという理由は想起することができなかった。 沖縄の稲嶺知事が、この理由について政府から明確に示されていないという不信感を訴えていたが、私自身二つの理由を考えてみた。 ひとつは、真に軍事上の機密であるが故に、米軍から、何故沖合がダメで沿岸部ならいいのかの明示的な説明を日本政府自体が知らされていないのか、あるいは、仮に知らされていてもそれがあまりに些細な理由であるが故に地元に説明できないのかということぐらいしか思い浮かばない。 どちらにしても、それは日本が米国というより米軍のまさに従属的立場に置かれているということのみを示すものである。 それにしても、こうした理由のもう少し理性的な説明が為されてもしかるべきと考える。 その後の行程で、日中ガス田の問題の中心、中国名の「天外天」および「春曉」、更に尖閣列島を自衛隊機で上空から視察した。 そして、天外天においては、海底より抽出した天然ガスをプラットフォーム上で炎にしている現実を目の当たりにして、資源問題についての大きな危機感を新たにした。 少なくとも、今回、日本の国会議員が七名余こうした自衛隊機により日中中間線および尖閣を視察するということは、日本国が資源問題について毅然として交渉するということを示す上で、極めて意義深いものといえる。しかしながら、こうした正式な衆議院外務委員会の行動に対して、マスコミが国内的に殆ど取り上げなかったということは、中国にとっては大変ありがたいことではないかと思われる。逆に言えば、国益を重んじる姿勢が日本のマスコミにあまりに乏しいという思いがした。 こうした中で、私はひとつの提言をここにおいてしていきたいと考える。 まず第一に、自衛隊幹部との質疑のなかで、在沖米軍は、沖縄のいくつかの場所に射爆場を確保して、実弾を使った訓練をしているが、日本の自衛隊は、こうした実写訓練をする射爆場が殆どない為に、実射訓練をする機会に恵まれていない。それ故に米軍が使用している射爆場を借りて日本側も実射訓練をしたいとの要望を米軍にあげているとの説明があった。 次に、米軍は尖閣諸島の5つの島の中の久場島という無人島を、その射爆場として年に何日もの実射訓練に使用しているということの説明があった。もちろん久場島は米軍の持つ多くの射爆場のひとつに過ぎないが、このことは尖閣の領有権を確固たるものにするべきわが国にとっては極めて重大な示唆を与えるものといえる。 すなわち、自衛隊が米軍の尖閣列島内の久場島射爆場を共同利用させてもらえれば、そのことが即ち、内外に対しての日本の尖閣領有の実体を構成するものになると私は考えるのである。勿論、現実に日米安保の同盟国である米国の軍隊が、尖閣列島の一つの島を射爆場として現在使用していること自体も、尖閣列島が日本の領土であることを示すものであるが、日本自らが、それを米軍と共に行うことの意義は極めて重大であり、このことは私の立場からも主張していきたいと考えた。その後の石垣市長および石垣市議会議長との話し合いの中でも、例えば、石垣市議会議員全員による魚釣島上陸の予算を石垣市議会で160万円計上したことなども報告され、離島地域の防人意識に大いに感激したことも付記しておきたい。 しかるに、こうした日本の領土を守ろうとする地方議会の行動を非文書による指導で抑制した内閣の行動を聞かされるとき、日本政府の中に真の国益を考える姿勢が大きく欠落していると指摘せざるを得ない。 なお、こうした米軍利用の尖閣列島内の射爆場「久場島」について、日本国土地理院においては、石垣島等で従来から使用されているこの久場島という名称を書かず、中国名の「黄尾嶼」とのみ記述されていることについて、私は強く抗議をしたいと考える。 また、与那国島上空に日本の防空識別圏が設定されている問題は、そもそもは一つの経緯があったにしろ、現状の中において再検討されることも付記しておきたい。